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酒井忠義(さかいただあき)

若狭小浜藩主[日本]

1873年 12月5日 死去享年61歳

酒井 忠義 酒井忠義 (競艇選手) (さかい ただよし) 酒井忠義 (出羽国庄内藩主) (さかい ただよし、1644年 - 1681年) 酒井忠義 (若狭国小浜藩主) (さかい ただあき、1813年 - 1873年) - 京都所司代を務めた。

さかい-ただよし 1644-1681江戸時代前期の大名。寛永21年7月5日生まれ。酒井忠当(ただまさ)の子。万治(まんじ)3年出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩主酒井家3代となる。高力忠兵衛(こうりき-ちゅうべえ)を郡代に抜擢(ばってき)し,藩の財政改善をはかるが,農民の不満をつのらせ,忠兵衛は失脚した。天和(てんな)元年11月7日死去。38歳。 酒井忠義さかい-ただあき 1813-1873江戸後期-明治時代の大名。文化10年7月9日生まれ。酒井忠進(ただゆき)の6男。義兄酒井忠順(ただより)の養子となり,天保(てんぽう)5年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩主酒井家12代。京都所司代在職中,将軍継嗣問題で一橋派を弾圧し,安政の大獄の発端をつくる。皇女和宮(かずのみや)の降嫁に奔走して加増されたが,寺田屋事件などで免職,隠居。明治元年忠禄(ただとみ)とあらため,再相続し14代となった。明治6年12月5日死去。61歳。 (引用元 コトバンク)

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