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今井宗久(いまいそうきゅう)

商人、茶人[日本]

(文禄2年8月5日没)

1593年 8月31日 死去享年73歳

今井宗久 - ウィキペディアより引用

今井 宗久(いまい そうきゅう、永正17年(1520年) - 文禄2年8月5日(1593年8月31日))は、室町時代から安土桃山時代にかけての堺の商人、茶人。
今井出羽守宗慶の三男の氏高の子。
今井宗薫の父。
名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。
号は昨夢庵寿林。
屋号は納屋。
薙髪の後に宗久と名乗った。
千利休・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。
来歴= 大和国高市郡今井村の出身。
祖は近江源氏佐々木氏で、近江国高島郡今井市城を領したので、今井氏と称したという。
泉州・堺に出て納屋宗次の居宅に身を寄せ、武野紹鴎に茶を学ぶ。
やがて紹鴎の女婿となり、家財茶器などをことごとく譲り受けたという(のちにこの遺産を巡って武野宗瓦と争い勝利した)。
天文23年(1554年)には大徳寺塔頭大僊院に170貫を寄進している。
初めは当時軍需品としての需要があった鹿皮などの皮製品(甲冑製造などに用いる)の販売を扱っており、それによって財をなし、各地の戦国大名とのつながりを深めていった。
将軍・足利義昭にも茶湯をもって近侍し、織田信長の堺に対する矢銭徴課に当たっては、即座にこれに応じた。
永禄11年(1568年)10月、上洛した信長と摂津西成郡芥川で相見え、名物・松島の葉茶壺や紹鴎茄子などを献上した。
いち早く信長の知己を得て、足利義昭からは大蔵卿法印の位を授かる。
同年、信長が堺に対して矢銭2万貫を課した際、会合衆た ……

今井宗久が亡くなってから、431年と79日が経過しました。(157502日)

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