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入江たか子 氏(いりえたかこ)

女優[日本]

1995年 1月12日 死去肺炎享年85歳

入江たか子 - ウィキペディアより引用

入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、昭和期の日本の映画女優。
来歴= 東京市四谷区(現・新宿区)に生まれる。
子爵東坊城家(菅原氏)の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。
生母は北村キミで、徳長の庶子として生まれる。
1922年(大正11年)、その父が亡くなり生活に困窮するも文化学院中学部に入学。
油絵を習っていたが、関東大震災で家は半壊し、手放さなければならなくなった。
映画界へ= 1927年(昭和2年)、文化学院を卒業後、日活京都撮影所の俳優で兄の東坊城恭長(後に監督・脚本家)を頼って京都に移る。
同年、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者野淵昶に請われて女優として新劇の舞台に立つ。
それを観た内田吐夢の目に留まり、その勧めに従い同年、日活に入社。
同年、内田監督の『けちんぼ長者』で映画デビュー。
華族出の入江の突然の映画界デビューは、当時の世を騒然とさせた。
以後、村田実の『激流』、内田の『生ける人形』、溝口健二の『東京行進曲』などに主演し、たちまち日活現代劇人気ナンバー1女優の地位につく。
1930年代の仁丹の団扇、左から浜口富士子と入江たか子 1931年(昭和6年)、千恵蔵プロを主宰していた片岡千恵蔵が、入江の現代劇での芸者役を見て「入江は時代劇に向いている」と認め、『元禄十三年』(稲垣浩監 ……

入江たか子さんが亡くなってから、29年と314日が経ちました。(10906日)

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