鈴木澄子 氏(すずきすみこ)
女優[日本]
1985年 1月18日 死去脳出血享年82歳
鈴木 澄子(すずき すみこ、1904年10月26日 - 1985年1月18日)は、日本の女優である。
「化け猫女優」として一世を風靡。
初期芸名は鈴木 すみ子(読み同)。
人物・来歴=
1904年(明治37年)10月26日、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)に生まれる。
1921年(大正10年)、満15歳のとき、トーマス・栗原(栗原喜三郎)に見出され、前年に設立された大正活映に入社、同年5月11日公開の栗原の監督した短篇映画『喜撰法師』に出演してデビューする。
同社には俳優として、岡田時彦(当時は野羅久良夫)、井上金太郎(当時は栗井饒太郎)、内田吐夢(当時は閉田富)、二川文太郎らが在籍した。
1922年(大正11年)、同社が製作を停止すると、京都に新設された小笠原映画研究所(小笠原プロダクション)に移籍、同所を主宰する小笠原明峯が監督した現代劇『三色すみれ Love in Idleness』に出演した。
翌1924年(大正13年)には東亜キネマに移籍した。
帝国キネマ演芸を経て、1925年(大正14年)、マキノ・プロダクションに移籍する。
二川文太郎らの監督作に主演し、多くの映画に出演した後、1928年(昭和3年)、牧野省三の監督作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』に出演したのを最後に、京都を離れ、東京・巣鴨の河合プロダクション(のちの大都映画)に移籍した。
翌1929年(昭和4年)には市川右太衛門プロダクションに移籍、1930年(昭和5年)には再び帝国キネマに入社した。
1931年(昭和6年)、帝 ……
鈴木澄子さんが亡くなってから、39年と307日が経ちました。(14552日)