杉狂児(すぎきょうじ)
俳優、歌手[日本]
(旧芸名・杉京二)
1975年 9月1日 死去心筋梗塞享年73歳
杉 狂児(すぎ きょうじ、1903年7月8日 - 1975年9月1日)は、日本の俳優、歌手。
本名は杉 禎輔。
旧芸名に杉 京二。
戦前から戦後にかけての映画界で活躍したコメディアンで、戦前はマキノ・プロダクション、河合映画、日活などに出演し、歌手として「うちの女房にゃ髭がある」など映画の主題歌も歌っている。
戦後は脇役として東映時代劇等に出演した。
宝映テレビプロダクションの創立者でもある。
妻は女優の金谷種子、長男の杉義一・次男の杉裕之・四男の杉幸彦は俳優である。
来歴=
1903年(明治36年)7月8日、福岡県福岡市地行東町に、農林省職員の父・天野藤三郎と母・さつきの3男2女の次男として生まれる。
中学を中退後に上京し、新聞配達や給仕をしながら東京音楽学校神田一ツ橋分教場声楽科に学ぶが、同校を中退して松旭斎天勝一座に加わり、有楽座で初舞台を踏む。
1923年(大正12年)、マキノ映画製作所等持院撮影所に入社し、環歌子の付き人となる。
翌1924年(大正13年)、マキノが東亜キネマに吸収合併されたため、東亜甲陽撮影所に入り、杉京二の芸名で『血は踊る』に映画デビュー。
同年公開の『踊れ若者』で初主演する。
1926年(大正15年)、東亜から独立したマキノ・プロダクション御室撮影所に月給30円で入り、杉狂児と改名。
同社出演第1作の『或る日の仇討』以降、大男の中根龍太郎とチビの杉のコンビで『糸の切れた風船玉』などに出演し、コメディアンと ……
杉狂児が亡くなってから、49年と95日が経過しました。(17992日)