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環歌子 氏(たまきうたこ)

女優[日本]

(旧名義・玉木悦子)

1983年 9月5日 死去享年83歳

環歌子 - ウィキペディアより引用

環 歌子(たまき うたこ、1901年10月28日 - 1983年9月5日)は、日本の映画女優である。
日本映画最初期のサイレント映画時代にデビューし、若手時代は剣戟映画スター・阪東妻三郎と多く共演した。
一時玉木 悦子(たまき えつこ)を名乗った。
本名:青木 ツネ(あおき つね、旧姓)。
身長5尺2寸(約157.6センチ)、体重12貫(約45キロ)。
当時の成人女性としては長身であった。
来歴・人物= 1901年(明治34年)10月28日、北海道庁函館区(現在の北海道函館市)に生まれる。
1918年(大正7年)、北海道庁立函館高等女学校(現在の北海道函館西高等学校)を卒業して上京、「浅草オペラ」のアサヒ歌劇団に入団、浅草公園六区の「駒形劇場」で初舞台を踏んだ。
1921年(大正10年)7月、国際活映・新派の田村宇一郎監督作品[どれ?]のロケーションにエキストラ出演したところ、田村に認められ、同社の巣鴨撮影所に入社した。
ここから「環歌子」を名乗る。
同年9月17日公開の『秩父嵐』で二枚目俳優葛木香一の相手役をつとめ、スクリーンデビューを果たす。
このように、はじめは現代劇女優であった。
1923年(大正12年)4月、京都に設立された牧野省三の「マキノ映画製作所」に引き抜かれる。
同年、牧野自らの監督作『加賀の若殿』で初めて時代劇に出演。
従来マキノでは、女役は女形の花柳紫紅がつとめており、同社初の時代劇女優となった。
このときの仲間に大部屋時代の阪東妻 ……

環歌子が亡くなってから、41年と78日が経過しました。(15053日)

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