野村俊夫(のむらとしお)
作詞家[日本]
1966年 10月27日 死去享年63歳
野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 1966年10月27日)は、日本の作詞家、詩人。
福島県福島市出身。
本名は鈴木 喜八。
略歴=
福島県福島市大町の魚屋に生まれる。
幼少期、近所には作曲家の古関裕而が住んでおり、5歳年上の野村は兄貴分であり遊び仲間だった。
1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。
1931年をもって福島民友新聞社を退社。
すでにコロムビア専属の作曲家として東京で活動していた古関裕而のすすめで上京する。
同年、古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売され互いにデビュー作となった。
この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
1939年、藤山一郎のコロムビア復帰第1作目であった「上海夜曲」のヒットにより、コロムビア専属の作詞家となる。
作詞家の野村俊夫と作曲家の古関裕而(福島市出身)、歌手の伊藤久男(本宮市出身)の三人は「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれた。
1951年頃からは日本音楽著作権協会の理事も務めていた。
また、たいへんな酒豪だったという。
2020年9月、日本コロムビアから1988年以来32年ぶりの作品集がリリースされた。
主な作品=
1931年「福島行進曲」(作曲:古関裕而、歌:天野喜久代)
1938年「音信はないか」(作曲:能代八郎、歌:小野巡)
1938年「忠治子守唄」(作曲:服部逸郎、歌:東海林太郎)
1939年「上海夜曲」(作曲:仁木他喜雄、歌 ……
野村俊夫が亡くなってから、58年と37日が経過しました。(21222日)