芸能人・経営者のおくやみ情報

大友柳太朗 氏(おおともりゅうたろう)

俳優[日本]

1985年 9月27日 死去自殺享年74歳

大友柳太朗 - ウィキペディアより引用

大犮 柳太朗(おおとも りゅうたろう、1912年〈明治45年〉6月5日 - 1985年〈昭和60年〉9月27日)は、山口県出身の俳優。
本名:中富 正三。
新国劇出身。
戦後の東映時代劇映画で数多く主演を務めた剣劇スター。
晩年はテレビの現代劇でも活躍した。
来歴= 父親は山口県柱島(現岩国市)出身、母親は広島県能美島(現江田島市)の出身で、大犮は母親の実家に近い広島市中の棚(現在の同市中区立町付近)で生まれ、父親は出生届を柱島で出した。
生後間もなく柱島で育ち、小学校3年から5年までは山口県屋代島(周防大島)(現同県大島郡)で育った。
1935年(昭和10年)、松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、大阪へ出て新国劇に入り、辰巳柳太郎に師事。
同じ松山中学出身の映画監督伊藤大輔から「大輔」の名を譲り受け、中富大輔の芸名で初舞台を踏む。
1936年(昭和11年)、新興キネマ京都撮影所に招かれ、山本周五郎原作の『青空浪士』の主演で華々しく映画界にデビュー。
このとき、師の辰巳柳太郎から「柳太郎」の名を譲り受け芸名を「大犮柳太郎」とした。
大犮の名字は「柳太郎」の名前に合うもので語呂がいいものとして新興キネマの重役が決めたものである。
1937年(昭和12年)、『佐賀怪猫伝』に主演、映画は大ヒットとなり、一躍スター俳優の仲間入りを果たす。
1942年(昭和17年)、各社合併で大映京都撮影所所属となり、大映創立第1回オール ……

大友柳太朗さんが亡くなってから、39年と55日が経ちました。(14300日)

推定関連画像