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佐野浅夫 氏(さのあさお)

俳優[日本]

2022年 6月28日 死去老衰享年98歳

佐野浅夫 - ウィキペディアより引用

佐野 浅夫(さの あさお、本名:佐野 淺雄〈読み同じ〉、1925年〈大正14年〉8月13日 - 2022年〈令和4年〉6月28日)は、日本の俳優・声優、童話作家、実業家。
アクターズ・セブン所属。
身長168cm。
神奈川県横浜市(現在の区分では保土ケ谷区)出身。
来歴・人物= 実家は相模鉄道天王町駅近くの青果商。
神奈川県立横浜第三中学校卒業。
中学校の同期生には松山善三がいる。
太平洋戦争下の1943年(昭和18年)、日本大学専門部芸術科(現在の芸術学部)在学中、同窓の高山象三に誘われて劇団「苦楽座」に入団したことで俳優人生を歩み出した。
18歳で入団した苦楽座では最年少で皆に可愛がられた。
1945年、苦楽座は中国地方を慰問する移動演劇「櫻隊」に改称した。
同年3月、佐野は本土決戦に備える特攻隊に応召し、劇団を離れた。
丸山定夫、園井恵子、仲みどりら劇団員9人は8月6日の広島市への原子爆弾投下により後に全員が死亡し、櫻隊はこれにより壊滅した。
佐野は軍隊を抜け出して、日本の敗戦後の8月20日頃、東京大学医学部附属病院に仲を見舞った。
仲間の消息を訊こうとしたが、仲はベッドに寝たきりで何も訊けず、病室を後にした。
「これまでは自分だけが生き残ったことが後ろめたかった。
しかし、仲間を知る人がいなくなった今こそ」と62年間の沈黙を破り、2007年8月6日(月曜日)に東京都目黒区の五百羅漢寺で仲間への思いを初めて語り追悼した。
『読売新聞』200 ……

佐野浅夫さんが亡くなってから、2年と146日が経ちました。(877日)