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大泉滉 氏(おおいずみあきら)

俳優声優[日本]

1998年 4月23日 死去肺がん享年74歳

大泉滉 - ウィキペディアより引用

大泉 滉(おおいずみ あきら、1925年1月1日 - 1998年4月23日)は、日本の俳優・声優。
身長165cm。
血液型はO型。
本名同じ。
来歴・人物= 日露混血のアナキスト作家大泉黒石の息子として、東京府北豊島郡高田町雑司が谷(現・東京都豊島区雑司が谷)に生まれる。
祖父はニコライ2世と共に訪日した農家出身の侍従アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤホーヴィチ。
大泉自身はアレクサンドル・ステパノヴィチ・ポチャーノフスキーと自称。
父の都合により、各地を転々として過ごす。
1937年、小学校卒業と共に劇団東童に入り、大泉ポーの芸名で活躍。
1940年、日活映画『風の又三郎』の一郎役で映画デビュー。
旧制城西学園中学校を中退し、1946年、文学座に入団。
この当時は二枚目俳優として活躍したが、1951年に出演した映画『自由学校』がきっかけでコメディアンに転身。
テレビドラマ『ボクのしあわせ』のプロデューサー役などで人気を集め、「トンデモハップン」などの流行語を生む。
文学座退団後は、映画や当時放送開始されたばかりのテレビでコメディアンぶりを発揮。
英国制作の人形劇『サンダーバード』では、科学者のブレインズの声を担当するなど、声優・吹き替えでも活躍。
特撮『仮面の忍者 赤影』のペドロ役や、ウルトラシリーズでのコミカルな演技でも知られた。
1970年前後には東映映画にコメディーリリーフでゲスト出演した。
1984年、大林宣彦監督が日本テ ……

大泉滉さんが亡くなってから、26年と212日が経ちました。(9709日)