関敬六 氏(せきけいろく)
コメディアン、俳優[日本]
2006年 8月23日 死去肺炎享年79歳
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。
栃木県足利市出身。
1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現在の栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。
その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。
略歴=
浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。
榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。
当時は渥美清や谷幹一もおり、三人で下積み時代を支えあった。
1959年にはこのトリオでスリーポケッツを結成し、一躍お茶の間の人気トリオとなる。
その後、スリーポケッツは解散して1975年に自ら劇団を立ち上げる。
主に浅草を中心に活躍して浅草の舞台史を彩る人物であるが、その一方で映画「男はつらいよ」シリーズやテレビでも活躍している。
舞台や映画などでの精力的な活動が評価され、芸術祭優秀賞などを受賞している。
その他の受賞歴も多い。
渥美とは第32作『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』の岡山県備中高梁ロケの際に一緒の位牌を作るほどの仲だったが、そんな関も渥美の家族や個人的な連絡先は知らず、知るようになったのは「寅さんのお別れの会」に出席してからだと語っている。
1996年の夏、盟 ……
関敬六さんが亡くなってから、18年と90日が経ちました。(6665日)