由利徹 氏(ゆりとおる)
喜劇俳優[日本]
(本名・奥田清治)
1999年 5月20日 死去肝臓がん享年79歳
由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。
本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。
1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。
来歴=
宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。
父は腕のいい大工として知られていた。
幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。
現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。
1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
もともとはピストン堀口に憧れてボクサーを目指していたが、ムーランルージュ新宿座の芝居に憧れ、1940年(昭和15年)、18歳の時に家出して上京し、叔母の家に居候させてもらいながら梱包の仕事に就いた。
1942年(昭和17年)に伯父の知人の世話によりきっかけをつかんでムーランルージュ入団。
翌1943年(昭和18年)に大日本帝国陸軍に応召し、中国華北地方へ赴任。
1945年(昭和20年)に帰国し、ムーランルージュに復帰。
その後ムーランルージュに森繁久彌が入団し、2人は同じ喜劇役者として共に演劇活動をしていた。
ムー ……
由利徹さんが亡くなってから、25年と186日が経ちました。(9317日)