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三木のり平 氏(みきのりへい)

俳優演出家、コメディアン[日本]

1999年 1月25日 死去享年76歳

三木のり平 - ウィキペディアより引用

三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。
日本喜劇人協会第5代会長。
本名は田沼 則子(たぬま ただし)。
長男は、コメディアンの小林のり一。
来歴= 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。
1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。
日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。
大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。
舞台役者としてデビュー= その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
青山杉作研究所、俳優座を経て、帝劇で『真夏の夜の夢』に端役で出演していたが、手に持った蝋燭の火が自らの衣装に燃え移り芝居を混乱させたために青山圭男から新劇の世界を追放され、三木鶏郎グループに入り、コメディアンを目指す。
本名で舞台に上がっていたが、三木鶏郎の提案により芸名を「三木則子」とする。
しかし、プログラムの印刷業者が則子の「子」の字を「平」と読み間違えたため、プログラムには「三木則平」と表記される。
その後、小野田勇から「『則平』は固いから『則』の字は平仮名がいいよ」と助言されたことを受け、正式に「三木のり平」を芸名とした。
喜劇役者として人気に= 1950年、人気 ……

三木のり平さんが亡くなってから、25年と301日が経ちました。(9432日)

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