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有島一郎 氏(ありしまいちろう)

俳優[日本]

1987年 7月20日 死去心不全享年72歳

有島一郎 - ウィキペディアより引用

有島一郎一座を結成するが長続きせず、小夜福子一座、水の江滝子率いる劇団たんぽぽと渡り歩くうちに終戦を迎える。
終戦直後に堺駿二と劇団空気座を旗揚げするも、すぐに脱退。
結局は、三木トリロー・グループの池袋公演に出演したことがきっかけとなり、NHKラジオの『日曜娯楽版』に出演して全国的に有名になる。
1947年、『若き日の血は燃えて』で映画デビュー。
1955年から東宝と専属契約を結び、森繁久彌や三木のり平らと並ぶ喜劇役者としての地位を確立する。
1961年から始まった加山雄三主演の『若大将シリーズ』で加山の父親役としておばあちゃん (飯田蝶子) には敵わない役を好演した。
テレビドラマでは『ありちゃんのおかっぱ侍』で主役を演じる。
舞台では菊田一夫率いる「東宝ミュージカルズ」で三木と共に中心的役割を果たす。
山田洋次監督の『なつかしい風来坊』辺りより、ペーソス漂う演技で新境地を開拓。
1966年、『暖春』での演技でアジア映画祭最優秀助演男優賞を受賞。
1972年、専属契約を解除。
フリーになり、テレビドラマでのレギュラー(『飛び出せ!青春』での杉田良策校長役、『暴れん坊将軍』での加納五郎左衛門役など)で当たり役を得た。
1987年6月1日頃から体調を崩し松平健主演の明治座舞台を降板し日比谷病院に入院するも、7月20日午後1時10分に心不全のため死去(享年71歳)。
有島はコメディアン俳優として知られたが、『キングコング ……

有島一郎さんが亡くなってから、37年と125日が経ちました。(13639日)

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