原節子 氏(はらせつこ)
女優[日本]
2015年 9月5日 死去肺炎享年96歳
原 節子(はら せつこ、本名:會田 昌江(あいだ まさえ)、1920年〈大正9年〉6月17日 - 2015年〈平成27年〉9月5日)は、日本の女優。
戦前から戦後にかけての日本映画を代表する女優のひとりで、「永遠の処女」と呼ばれた。
『晩春』(1949年)や『東京物語』(1953年)などの小津安二郎監督作品の出演で知られ、ほか『わが青春に悔なし』(1946年)、『青い山脈』(1949年)、『めし』(1951年)などに出演した。
1963年に女優業を引退し、2015年9月5日に死去するまで隠遁生活を送った。
経歴=
神奈川県橘樹郡保土ヶ谷町帷子(現在の横浜市保土ケ谷区月見台)に於いて、尾上町で生糸商を営む会田藤之助、母・ナミの間に末っ子として生まれた。
兄弟は男2人、女5人であった。
三番目の姉の子が映画監督の木下亮である。
保土ヶ谷尋常高等小学校(現・横浜市立峯小学校)から私立横浜高等女学校(現・横浜学園高等学校)に進むが、家庭が経済的に困窮していたこともあり、次女光代と結婚していた映画監督の熊谷久虎の勧めに従って映画界に入ることにし、女学校を二年で中退した。
一年の時には、後に小説家となる中島敦から直接の授業を受けている。
1935年4月15日、日活多摩川撮影所に入社し、同年の日活映画『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲監督)で映画デビュー。
同作で演じた役名「節子」は芸名の「節子」と一致していた。
東海林太郎と(1936年)
『日活画報』1936年7月号。
右が原節 ……
原節子さんが亡くなってから、9年と40日が経ちました。(3327日)