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田中絹代(たなかきぬよ)

女優[日本]

1977年 3月21日 死去脳腫瘍享年69歳

田中絹代 - ウィキペディアより引用

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日)は、日本の女優、映画監督。
本名同じ。
旧芸名は田中 錦華(たなか きんか)。
黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。
14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て、松竹の看板女優となった。
戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し、脇役を演じることが多くなるも円熟した演技を見せ、晩年は『サンダカン八番娼館 望郷』の演技でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞した。
主な作品に『マダムと女房』『愛染かつら』『西鶴一代女』『雨月物語』『煙突の見える場所』『楢山節考』『おとうと』など。
また、映画監督としても6本の作品を残している。
来歴= デビューまで= 1909年(明治42年)11月29日、山口県下関市関後地村(現在の下関市丸山町)に父・久米吉と母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。
元々は裕福な家庭だったが1912年(明治45年)1月に久米吉が病死したのを皮切り、田中家は数々の不運に見舞われ次第に困窮していく(後述)。
家の経済事情の悪化により1916年(大正5年)9月に保太郎を後見人に、母と兄3人、姉1人とともに大阪市天王寺村(現在の天王寺区)へ移住した。
直後に患った病気療養により長期間学校に通えなかったが、治癒後保太郎が家庭教師になって猛勉強したおかげで、1918年(大正7年)4月に天王寺尋常小学校3年に ……

田中絹代が亡くなってから、47年と245日が経過しました。(17412日)