芸能人・経営者のおくやみ情報

道鏡(どうきょう)

[日本]

(俗名・弓削連、宝亀3年4月7日没)

(ユリウス暦) 0772年 5月13日 死去

道鏡 - ウィキペディアより引用

道鏡(どうきょう、生年不詳 - 宝亀3年4月6日〈772年5月12日〉)は、奈良時代の僧侶。
俗姓は弓削氏(弓削連)。
俗姓から、弓削 道鏡(ゆげ の どうきょう)とも呼ばれる。
称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に重用されて太政大臣禅師、さらに法王という例のない地位に就いて並ぶ者のない権勢を誇ったが、称徳天皇の崩御により失脚し、下野薬師寺に左遷されて同地で死去した。
僧侶の身にありながら政治において専権を振るい、宇佐八幡宮神託事件を起こして皇位を狙ったとみなされたために、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人と称された。
しかし近年ではどの程度政治的権力を行使していたのかについては疑問が呈されており、さらに宇佐八幡宮神託事件についても道鏡以外の首謀者を想定する説も提唱されていることにより、従来の悪人・怪僧・妖僧といったイメージは見直されつつある。
出自= 道鏡の生年や両親の名は不明。
『続日本紀』には俗姓・弓削連、河内国若江郡の人とある。
弓削氏は弓を製作する弓削部を統率した氏族で、本拠地とした若江郡弓削郷は現在の大阪府八尾市の弓削神社周辺と考えられる。
弓削氏には複数の系統があるが、天武天皇13年(685年)に弓削宿禰を賜った系統が存在することから、弓削連を名乗っていた道鏡は弓削氏の本宗家ではなかったとみられる。
弓削氏は『新撰姓氏録』によれば物部氏と同祖とされており、物部氏は若江郡に隣接する渋川郡を本拠 ……

推定関連画像