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古川薫 氏(ふるかわかおる)

作家[日本]

(「漂泊者のアリア」で直木賞受賞)

2018年 5月5日 死去血管肉腫享年94歳

古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。
妻は歌人の森重香代子。
来歴・人物= 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。
復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。
中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。
1970年に退社し作家専業となった。
郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。
若き日のエピソード= 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
1度目は1939年(昭和14年)春ころ、火野葦平が宇部市の渡辺翁記念会館で講演したとき、古川は兄たちに誘われて見にいった。
壇上の火野は軍服姿で腰に銃剣をつるしていた。
2度目に講演を聴いたのは、1951年(昭和26年)夏の夕刻、古川は学生だった。
アルバイト先の小野田セメントの勤めが終わった帰路に「火野葦平来る!」という手書きのポスターが目に入り、すぐ近くの公民館だったので入場した。
会場は満員で、火野本人は、ややくたびれた軍服を着ていた。
1946年(昭和21年)、世界的なヴァイオリニストの諏訪根自子が、山口で占領軍のためにリサイタルやるというので、古川は ……

古川薫さんが亡くなってから、6年と200日が経ちました。(2392日)

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