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火野葦平(ひのあしへい)

作家[日本]

1960年 1月24日 死去自殺享年54歳

火野葦平 - ウィキペディアより引用

火野 葦平(ひの あしへい、1907年〈明治40年〉1月25日 - 1960年〈昭和35年〉1月24日)は、日本の昭和戦前・戦後期の小説家。
本名:玉井 勝則。
早くから文学を志し、早大在学中『街』の創刊に参加。
労働運動に参加するも検挙され転向した。
日中戦争応召中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞。
次いで『麦と兵隊』以下3部作が評判を呼んで、兵隊作家としてマスコミの寵児となった。
そのため、戦後は戦犯作家として指弾される。
その後、筆力を揮って再び活躍したが、睡眠薬を用いて自殺した。
概要= 自伝的作品『花と竜』などに書かれているように、父・金五郎は現在の愛媛県松山市の出身、母・マンは現在の広島県庄原市の出身。
旧制小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)卒業、早稲田大学英文科中退。
『糞尿譚』で芥川賞を受賞、その後の『麦と兵隊』は大きな評判をよび、『土と兵隊』『花と兵隊』とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーとなった。
東京と福岡に本拠を二分し、東西を往復しての執筆活動で多忙を極めた。
著述業と共に「玉井組」2代目も務める。
『麦と兵隊』など兵隊小説作家として知られるが、一方で河童の登場する作品が多く残る。
その数、小説、随筆、童話などで100点を超えるという。
芥川龍之介を敬愛しているが、芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は「私の描く河童 ……

火野葦平が亡くなってから、64年と302日が経過しました。(23678日)

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