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岡本喜八 氏(おかもときはち)

映画監督[日本]

2005年 2月19日 死去享年82歳

岡本喜八 - ウィキペディアより引用

岡本 喜八(おかもと きはち、1924年(大正13年)2月17日 - 2005年(平成17年)2月19日)は、日本の映画監督。
本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)。
経歴= 岡本喜八とみね子(『キネマ旬報』1960年5月上旬号より) 鳥取県米子市四日市町出身。
1941年、米子商蚕学校(現・米子南高校)卒業後、上京。
1943年に明治大学専門部商科卒業後、東宝に入社し助監督となる。
しかし、1944年に太平洋戦争の戦局の悪化に伴い召集され、1945年1月に松戸の陸軍工兵学校に入隊。
愛知県豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。
この豊橋滞在時に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争や陸海軍部に対する大きな憤りを抱いた。
復員後に東宝へ復帰し、マキノ雅弘や谷口千吉、成瀬巳喜男、本多猪四郎らに師事して修行を積む。
1957年に東宝が、映画の素人である石原慎太郎に、自作『若い獣』を監督させると発表したことに助監督たちが反発。
シナリオ選考で一人監督に昇進させることが決まり、岡本が『独立愚連隊』『ああ爆弾』のシナリオで認められて昇進した。
1958年、『結婚のすべて』で初メガホンを取る。
岡本のオリジナルシナリオによる、日中戦争最中の中国大陸に西部劇や推理劇の要素を取り入れた5作目『独立愚連隊』(1959年)で、一躍若手監督の有望格として注目を浴び、以降、『独立愚連隊西へ』(1960年)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『ああ爆弾』 ……

岡本喜八さんが亡くなってから、19年と260日が経ちました。(7200日)

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