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三木清(みききよし)

哲学者[日本]

1945年 9月26日 死去享年49歳

三木清 - ウィキペディアより引用

三木 清(みき きよし、1897年(明治30年)1月5日 - 1945年(昭和20年)9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、評論家。
法政大学法文学部教授。
京大哲学科卒。
西田幾多郎・ハイデガーに師事。
留学中にパスカルを研究、帰国後『パスカルに於ける人間の研究』(1926年)を刊行。
戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され獄死したが、著書『人生論ノート』はロングセラーになった。
生涯= 生誕地たつの市の白鷺山公園哲学の小径 にある三木清記念碑 兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)にて父親、三木英吉、母親しんの長男として1897年1月5日に誕生する。
後に四人の弟と、三人の妹が生まれる。
弟の内の一人は中国文学者の三木克己である。
旧制龍野中学校に1909年4月に入学し、1914年3月に卒業する。
第一高等学校から京都帝国大学に進み、西田幾多郎に師事する。
大学在学中は西田のみならず東北帝国大学から転任してきた田辺元や左右田喜一郎らからも多くの学問的影響を受けた。
また、谷川徹三、林達夫、小田秀人らとの交友がはじまり彼らの影響で和歌を多く詠んだ。
特に谷川徹三とは懇意にしており、詩を作るといつも谷川に見せて批評してもらっていた。
長田桃蔵の娘・多喜子に好意を寄せていたが多喜子は谷川の妻となった。
1920年4月に猶予されていた徴兵検査をうけ、結果は第二乙種であった ……

三木清が亡くなってから、79年と56日が経過しました。(28911日)

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