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岩波茂雄(いわなみしげお)

岩波書店 創業者[日本]

1946年 4月25日 死去脳出血享年66歳

岩波茂雄 - ウィキペディアより引用

岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年〈明治14年〉8月27日 - 1946年〈昭和21年〉4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。
貴族院多額納税者議員。
次男の岩波雄二郎は岩波書店・二代目社長。
孫の岩波律子は岩波ホール支配人。
次女小百合は岩波書店会長の小林勇の妻。
経歴= 長野県諏訪郡中洲村(現在の諏訪市中洲)の農家に生まれる。
父義質は村の助役をしていた。
尋常小学校、高等小学校をへて、1895年(明治28年)に旧制諏訪実科中学校(現・諏訪清陵高)へ入学。
在学中に父が病死し、戸主となる。
母を助け農業をしていたが1899年に上京し、杉浦重剛を慕い、日本中学に入学。
母が学資を仕送りしてくれた。
ある時母親が上京すると茂雄は東京見物をさせようと思うも母は用事が済むとさっさと帰郷してしまった。
息子を勉強させたいばかりに働いたのだという。
翌年に卒業。
1901年(明治34年)、第一高等学校に入学する。
ボート部で活躍するが、2年になる頃から人生問題に悩むようになる。
この頃には内村鑑三の影響を受けており、また、東京本郷で求道学舎を主宰していた真宗大谷派僧侶の近角常観のもとを訪れ、近角から著書『信仰の餘瀝』を渡される。
1903年5月、藤村操(1学年下)が「巌頭之感」を遺して自殺したことに大きな衝撃を受ける。
試験を放棄したため落第し、夏休みの約40日間、茂雄は哲学書等を携えて野尻湖の弁天島に1人で篭もることがあっ ……

岩波茂雄が亡くなってから、78年と210日が経過しました。(28700日)

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