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西田幾多郎(にしだきたろう)

哲学者[日本]

1945年 6月7日 死去尿毒症享年76歳

西田幾多郎 - ウィキペディアより引用

西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本の哲学者。
京都学派の創始者。
学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1913年)。
京都大学名誉教授。
著書に『善の研究』(1911年)、『哲学の根本問題』(1933年)など。
東大哲学選科卒。
参禅と深い思索の結実である『善の研究』で「西田哲学」を確立。
「純粋経験」による「真実在」の探究は、西洋の哲学者にも大きな影響を与え、高く評価される。
経歴= 加賀国河北郡森村(現在の石川県かほく市森)に、西田得登(やすのり)、寅三(とさ)の長男として生まれる。
西田家は江戸時代、十村(とむら)と呼称される加賀藩の大庄屋を務めた豪家だった。
若い時は、肉親(姉・弟・娘2人・長男)の死、学歴での差別(帝大における選科〔聴講生に近い立場〕への待遇)、父の事業失敗で破産となり、妻との一度目の離縁など、多くの苦難を味わった。
そのため、大学卒業後は故郷に戻り中学の教師となり、同時に思索に耽った。
その頃の思索が結晶となった『善の研究』(弘道館、1911年1月)は、旧制高等学校の生徒らには代表的な必読書となった。
哲学への関心が芽生えたのは石川県専門学校(のちの四高、石川県金沢市)に学んだときのことである。
ここで古今東西の書籍に加え、外国語から漢籍までを学んだ。
金沢出身の数学の教師であり、のちに四高校長などを歴任した ……

西田幾多郎が亡くなってから、79年と167日が経過しました。(29022日)

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