西部邁 氏(にしべすすむ)
評論家[日本]
2018年 1月21日 死去自殺享年80歳
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉1月21日)は、日本の評論家、経済学者、保守思想家。
東京大学大学院卒業。
秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。
北海道出身。
東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。
安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。
1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。
それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。
2018年に多摩川にて自決する。
経歴=
出生=
1939年(昭和14年)、北海道の南部に位置する山越郡長万部町に生まれる。
父は夕張郡長沼町の浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。
札幌郡白石村厚別の信濃小学校、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。
高校卒業まではマルクスもレーニンもスターリンも毛沢東も知らぬノンポリであった。
18歳まで重症の吃音であり、ほとんど何も喋らずに生きていた。
1957年(昭和32年)、東京大学を受験するが不合格となり、一年間の浪人生活を送る。
東大時代=
1958年(昭和33年)4月、東京大学に入学、三鷹寮に入寮。
同年6月、和歌山の被差別部落に入って子供に勉強を教える。
同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟。
1959年(昭和34 ……
西部邁さんが亡くなってから、6年と304日が経ちました。(2496日)