すぎやまこういち 氏
作曲家[日本]
2021年 9月30日 死去敗血症性ショック享年91歳
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。
日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。
位階は従四位。
生涯=
生い立ち=
1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。
父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
母親の蔦子は、1909年、大分県竹田市浄土宗のお寺の7番目の子として生まれ、6歳の時に養子に出された。
祖母が子守唄として讃美歌を歌っていたことや、両親が音楽好きだったことから、幼少から音楽に親しむ。
また両親がゲーム好きだったことから、物心がついたころから自身もゲーム好きだった。
小学校時代は父の仕事の影響で引越しが多く、1年(東京市鷹番尋常小学校)、2年 - 5年(清水尋常小学校)、5年 - 6年(市川真間小学校)と転校を繰り返す。
名古屋に住んでいたころから鼻歌で作曲を始めるようになる。
カール・ブッセの「山の ……
すぎやまこういちさんが亡くなってから、3年と52日が経ちました。(1148日)