林きむ子(はやしきむこ)
日本舞踊家、作家[日本]
1967年 2月2日 死去享年82歳
林 きむ子(はやし きむこ、明治17年(1884年)12月1日 - 昭和42年(1967年)2月2日)は、舞踏家、作家、社会運動家、実業家。
大正三美人の1人として数えられる場合もある。
戸籍名は「きん」。
日本女子美術学校(同校は後に公立学校化され現在の東京都立忍岡高等学校)卒業。
日本舞踊協会監事。
生涯=
林きむ子は、1884年12月1日、東京の柳橋に生まれた。
父は狂言浄瑠璃の祖といわれる初代豊竹和国太夫、母は女義太夫の初代竹本素行であった。
きむ子は7歳のときに新橋の料亭「浜の家」の女将・内田はな(花)の養女となり、跡を継ぐように望まれる、9歳で藤間流の藤間久満、11歳で正派西川流の初代西川喜洲、西川流9代目西川扇蔵に師事し西川扇紫を名乗り、三味線、踊り、お茶、お花など、ありとあらゆる芸事を身につけたという。
養家「浜の家」は頭山満や杉山茂丸が贔屓にし、当時は名の知れた料亭であった。
1901年に星亨の懐刀と言われた代議士・日向輝武と結婚する。
霊南坂教会で式を挙げ、新婚旅行は姑同伴、赤坂の日向邸で生活を始め、クリスチャンだった夫とともに教会に通い、1905年からは夫が田端に購入した3000坪の大邸宅(通称「田端御殿」)で暮らしていたが、1914年の大浦事件によって輝武は狂死してしまう。
邸宅を処分し、化粧水オーロラの販売を手掛け、製品作りを通じて薬剤師の林柳波と知り合う。
その後、夫が死んで1年以内に6人の子供がいながら、9歳年 ……
林きむ子が亡くなってから、57年と293日が経過しました。(21112日)