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栗島すみ子 氏(くりしますみこ)

女優[日本]

(日本舞踊水木流家元・水木歌紅)

1987年 8月16日 死去腎不全享年86歳

栗島すみ子 - ウィキペディアより引用

栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年〈1902年〉3月15日 - 昭和62年〈1987年〉8月16日)は、明治・大正・昭和期の女優。
日本映画界初期の人気女優である。
日本舞踊水木流家元水木歌紅でもある。
来歴= 『妖婦五人女』(1926年)の宣伝用写真から。
左から栗島、松井千枝子、川田芳子、筑波雪子、柳さく子。
東京府豊多摩郡渋谷村大字中渋谷(現在の東京都渋谷区道玄坂)に生まれた。
父の死後、母の再婚先である川村家を経て新派俳優栗島狭衣の養女となった。
明治40年(1907年)、5歳のとき狭衣の師である水木歌橘に入門し、日本舞踊を習い始めた。
同年父の主宰するお伽劇『うそつき爺い』で初舞台を踏んだ。
また、明治42年(1909年)には狭衣と共にM・パテー商会製作・公開の映画『新桃太郎』に出演した。
大正2年(1913年)、栗島狭衣一座の座員となり、巡業生活を送った。
この間ほとんど学校に通っていなかったため、将来を案じた母が一座から離れさせ、日本舞踊の修行に専心。
大正7年(1918年)に、水木歌紅の名で名取となった。
大正10年(1921年)2月、松竹蒲田撮影所に入り、ヘンリー小谷監督の『虞美人草』に当時の人気俳優岩田祐吉の相手役としてデビューした。
岩田とはのちに『船頭小唄』などで共演し、諸口十九・川田芳子のコンビと並ぶ松竹のドル箱コンビとして活躍、人気を得た。
主に悲劇もののヒロイン役で活躍し、川田、五月信子と並ぶ初期の松竹蒲田 ……

栗島すみ子さんが亡くなってから、37年と98日が経ちました。(13612日)