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池内淳子 氏(いけうちじゅんこ)

女優[日本]

2010年 9月26日 死去肺腺がん享年78歳

池内淳子 - ウィキペディアより引用

池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)は、日本の女優。
来歴= 1954年 東京市本所区東両国(現:東京都墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。
幼稚園はトモエ学園に通う。
1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業後、日本橋三越への入社試験に受かるも親の反対に遭う。
しかし祖父の許しを得て無事に入社、配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もおり、そこで2人の美貌が評判となる。
1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通った。
1954年(昭和29年)、週刊芸能誌『サンケイグラフ』の第2回「カバーガール」に応募。
同年9月10日に新東宝本社で開かれた選考委員会で1位に輝く。
『サンケイグラフ』は新東宝撮影所へ池内を推薦。
関係者の目にも留まり、同社へ入社した。
偶然にも前田と再会した。
映画界へ= 池内淳子(1961年) 1955年(昭和30年)、『皇太子の花嫁』で映画デビュー。
続く清水宏監督の『次郎物語』で姉役を演じ注目される。
以来池部良、宇津井健の相手役として多くの作品に出演する。
1956年(昭和31年)、『新妻鏡』で初主演。
久保菜穂子、三ツ矢歌子と共に「新東宝現代劇の女優三羽烏」として脚光を浴びる。
その間、俳優の柳沢真一と結婚。
1957年(昭和32年)、映画界を引退、翌年に離婚。
1960年(昭和35年 ……

池内淳子さんが亡くなってから、14年と56日が経ちました。(5170日)