木曽義仲(きそよしなか)
信濃源氏の武将[日本]
(寿永3年1月20日没)
(ユリウス暦) 1184年 3月4日 死去討死享年31歳
源 義仲(みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。
河内源氏の一族、源義賢の次男(河内源氏は日本の第56代清和天皇を祖とする清和源氏の一流)。
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)にあたる。
木曽 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。
『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、北陸道を攻め上り俱利伽羅峠の戦い・篠原の戦いで平家の大軍を破って入京する。
連年の飢饉で荒廃し、飢えた京の市民による放火や強盗が頻繁に発生し、多くの浮浪者・餓死者で溢れていた洛中の治安回復を期待されたが、膨れ上がった反平家連合軍は統率の取れる状況になかった。
後白河法皇の院宣のもと、共に上洛した尾張や美濃など各地を本拠とする武士らと並び、京中守護を分担する十二人の内の一人に任ぜられるも、治安回復の遅延と混成軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、そして北陸宮の即位を望み皇位継承へ介入したことにより後白河法皇と不和となる。
法住寺合戦において後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、征東大将軍(征夷大将軍とも)となるが、朝敵の烙印を押され孤立し、源頼朝が送った源範頼・源義経の軍勢により粟津の戦いで討たれた。



