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赤木春恵 氏(あかぎはるえ)

女優[日本]

(旧芸名・赤木春生)

2018年 11月29日 死去心不全享年95歳

高崎映画祭最優秀主演女優賞2013年『ペコロスの母に会いに行く』 毎日映画コンクール女優主演賞2013年『ペコロスの母に会いに行く』テンプレートを表示 赤木 春恵(あかぎ はるえ、1924年〈大正13年〉3月14日 - 2018年〈平成30年〉11月29日)は、日本の女優。
本名、小田 章子(おだ あやこ)。
旧芸名、赤木 春生(あかぎ はるみ)。
身長152cm、血液型はB型。
自身の個人事務所でもあったオフィスのいりに所属。
日本喜劇人協会相談役。
満州長春県(現・中華人民共和国吉林省長春市)出身。
東京都府中市に居住していた。
来歴・人物= 父は南満州鉄道の産婦人科医だったが、赤木が3歳の時に死去した。
1933年に帰国して京都に住み、女学校卒業後の1940年に松竹にニューフェイスとして入社し、同年に映画『二本松少年隊』でデビュー。
この時の芸名は赤木春生(あかぎ はるみ)だった(名付け親は映画監督の伊藤大輔)。
1943年、大映へ移籍、1945年、松竹で助監督をしていた兄が設立した慰問劇団に参加するため大映を退社し、満州各地を巡業した(この時に森光子と知り合い、森が結核で療養し音信不通となっていた時期を除いて深い親交があり、本人は「ソウルメイトのようなものですね」と振り返っている。
)。
途中で兄が現地召集されたため、劇団の座長となり満州全土を慰問で巡った。
終戦時にはハルビン市にいたが、アパートのような所で仲間数人と暮らしながら、街路で長襦 ……

赤木春恵さんが亡くなってから、5年と358日が経ちました。(2184日)