藤山寛美 氏(ふじやまかんび)
喜劇俳優[日本]
1990年 5月21日 死去肝硬変享年62歳
舞台
松竹新喜劇、他
映画
『ばりかん親分』
『続拝啓天皇陛下様』
『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』テンプレートを表示
藤山 寛美(ふじやま かんび、本名:稲垣 完治(いながき かんじ)、1929年〈昭和4年〉6月15日 - 1990年〈平成2年〉5月21日)は、日本の喜劇役者。
戦後昭和の上方喜劇界を代表する喜劇役者であり、数多くの名作を残した。
弟子にはな寛太・いま寛大のはな寛太、山崎海童らがいる。
女優の藤山直美は娘。
俳優の藤山扇治郎は孫。
芸風=
永年にわたり松竹新喜劇の大スターとして活躍。
阿呆役を演じ、「あほの寛ちゃん」として人気を博した。
「松竹の喜劇王」とも称されている。
来歴・生涯=
結成当時の松竹新喜劇のメンバー。
後列左から5人目が寛美
華々しくデビュー=
1929年(昭和4年)、関西新派「成美団」の俳優・藤山秋美の末の息子として大阪府大阪市西区に生まれる。
母は新町のお茶屋「中糸」の女将・稲垣キミ。
父の病没した1933年(昭和8年)、花柳章太郎の命名で父の藤山を継承し芸名を「藤山寛美」とし、翌年1月に4歳で初舞台に立つ。
関西新派の都築文男に師事し、13歳で渋谷天外 (2代目)に誘われて松竹家庭劇に移るまで師弟関係にあった。
大阪大空襲で大阪の芝居小屋が焼け落ちた事もあり、1945年(昭和20年)3月に皇軍慰問隊の一員として旧満州に渡ったが、奉天(現在の瀋陽)で終戦を迎え、一時期ソ連軍に抑留される。
解放された後はハル ……
藤山寛美さんが亡くなってから、34年と184日が経ちました。(12603日)