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浪花千栄子(なにわちえこ)

女優[日本]

1973年 12月22日 死去消化管出血享年67歳

浪花千栄子 - ウィキペディアより引用

浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名:南口 キクノ(なんこう きくの)、1907年(明治40年)11月19日 - 1973年(昭和48年)12月22日)は、日本の女優。
昭和初期から中期(1920年代後半 - 1970年代前半)に活動した。
来歴= 大阪府南河内郡大伴村大字板持(現在:富田林市東板持町)に、養鶏業を営む家に生まれる。
8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出される。
その後、京都で女給として働いていたが、18歳のとき、知人の紹介で村田栄子一座に入る。
間もなく舞台にも立つようになるが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移る。
香住 千栄子の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)に山上伊太郎の初シナリオによる大作『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来順調に役をこなしていく。
その後、市川右太衛門、市川百々之助に招かれて帝国キネマにはいり、芸名を浪花 千恵子に変えて、映画出演を続けたが、給与未払いなどもあり映画界から足を洗う。
1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に参加。
1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外、曾我廼家十吾らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わる。
同年、2代目天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍する。
しかし、2代目天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団する。
芸能界 ……

浪花千栄子が亡くなってから、50年と334日が経過しました。(18597日)