はな寛太 氏(はなかんた)
漫才師、はな寛太・いま寛大[日本]
2007年 5月15日 死去食道がん享年63歳
はな寛太・いま寛大(はな かんた・いま かんだい)は、漫才コンビである。
所属事務所は松竹芸能。
略歴=
二人とも松竹新喜劇の役者出身。
1968年に漫才コンビ結成。
寛太の師匠の藤山寛美が名付け親となった。
事務所を辞めて上京し、道頓堀劇場で修行。
東京浅草の木馬館でデビュー。
1970年、名古屋の富士劇場で出会った夢路いとし・喜味こいしの勧めで大阪に戻り、最初は大宝芸能に所属し東宝系のトップホットシアターに出演。
同劇場閉鎖後に松竹芸能に移籍し、道頓堀角座等の松竹の劇場に上がり、漫才修行時代のストリップダンサーのエピソードを元にした「ちょっと待ってね」のギャグで、在阪放送局のお笑い番組で人気者となる。
1977年にコンビを解消するが、1979年に復活。
2005年でデビュー35周年、そしてNHKの『上方演芸ホール』で、師匠・こいしの前で本人の往年の漫才ネタを披露した。
2007年、いと・こいの往年のネタ「親子丼」「ジンギスカン」を現在風に改作して継承、2代目いとし・こいし襲名話も進んでいたが、同年5月15日、寛太が食道がんのため死去したことにより解散した。
2009年6月15日に行なわれた関西演芸協会主催の「法善寺寄席」に、寛大は若井ぼんとコンビを結成し出演。
芸風=
ゆっくりとしたテンポとベタなネタ、わざと間を外したボケやツッコミが何とも言えないおかしさを誘う漫才スタイルが特徴で、島田紳助曰く「ヘタうま漫才」と評されて ……
はな寛太さんが亡くなってから、17年と191日が経ちました。(6400日)