横山たかし 氏(よこやまたかし)
漫才師、横山たかし・ひろし[日本]
(本名・山高考)
2019年 6月1日 死去享年72歳
横山たかし・ひろし(よこやまたかし・ひろし)は、松竹芸能所属の漫才コンビ。
横山やすしの弟子で、ともに明蝶芸術学院の出身。
1968年(昭和43年)コンビ結成。
同年新世界新花月で初舞台。
ホラ吹き漫才の第一人者でもあった。
プロフィール=
横山たかし(よこやまたかし、1948年(昭和23年)10月6日 - (2019-06-01) 2019年6月1日(70歳没))ボケ担当、愛媛県伊予郡松前町出身。
本名:山高 考(やまたか たかし)。
横山たかしの名は三代目。
初代は横山プリン、二代目はレツゴー正児(レツゴー三匹)。
横山ひろし(よこやまひろし、 (1947-01-19) 1947年1月19日(77歳) - )ツッコミ担当、愛媛県越智郡波方町(現在の今治市)出身。
本名:小林 秀光(こばやし ひでみつ)。
妻は松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこ(元春やすこ・けいこ、たかしの死去後に漫才コンビを結成。
後述)。
来歴・エピソード=
2人とも松竹新喜劇俳優の曽我廼家明蝶の設立した明蝶芸術学院の3期生。
明蝶と学院について「(明蝶は)売れてないころも“うちの子や”と、よく名前を出してくれた。
明蝶学院は、たかし・ひろしの原点」と語っている。
コンビ結成直後から、オカマに扮したたかしが、相方のひろしに迫る「おかまどつき漫才」でいきなり売れ、1971年(昭和46年)のNHK上方漫才コンテスト新人賞受賞するなど、下積みの苦労は余りしていない。
しかし当時の放送倫理基準では問題視 ……
横山たかしさんが亡くなってから、5年と174日が経ちました。(2000日)