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ライオン野口(らいおんのぐち)

プロボクシング選手[日本]

1961年 5月8日 死去享年54歳

ライオン野口 - ウィキペディアより引用

ライオン野口(ライオンのぐち、男性 1908年6月2日 - 1961年5月8日、1907年生まれ説もある)は、日本のプロボクサー。
本名:野口 進(のぐち すすむ)。
東京市本郷区(現:東京都文京区)根津出身。
大日本拳闘会に所属した日本ウェルター級チャンピオン(1927年、1928年)。
来歴[編集] 少年時代から上野界隈では腕白坊主として名を馳せていた。
尋常小学校卒業後に働いていた問屋の店主に草相撲を勧められた。
当時相撲興業の形態が乱立していた中で、「宮の森」の四股名で根津神社を拠点に草相撲の横綱を張っていた。
草相撲で地元の名士となって身を立てることは十分臨めたが、喧嘩癖は治らず上野を離れ横浜港に身を隠した。
そこで「柔拳試合」に出会い、外国人水夫との決闘を重ねた。
1924年11月16日、ファイティング・チゴラというフィリピンのライト級ボクサーと、12回戦を戦い引き分けている。
デビュー戦で国際戦が組まれることはあっても、フルラウンド(12回戦)を戦うことは現在の常識では珍しい。
さらに1週間後、同じくフィリピン人のキーコと10回戦を戦いこれも引き分けている。
その後、田辺宗英を会長とする帝国拳闘会拳道社(現・帝拳ボクシングジム)が設立されると、野口も数人の選手とこれに参加。
しかし、資金難で道場が閉鎖されると、神戸に本部を置く大日本拳闘会(大日拳)に移籍する。
野口は嘉納健治による東京のボクシング選手大量引き抜きで ……

ライオン野口が亡くなってから、63年と80日が経過しました。(23091日)