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八雲恵美子(やぐもえりこ)

女優[日本]

(別名義・八雲理恵子)

1979年 1月13日 死去心不全享年77歳

八雲恵美子 - ウィキペディアより引用

八雲 恵美子(やぐも えみこ、1903年8月15日 - 1979年1月13日)は、日本の元芸妓、元女優、実業家である。
大阪府大阪市北区相生町(現在は都島区)出身。
本名は玉野 千代子。
後芸名は八雲 理恵子。
初期の松竹蒲田撮影所の人気スターである。
来歴・人物= 1903年8月15日、大阪府大阪市北区相生町に生まれる。
花柳界に程近い町で育ったこともあって、幼いころから遊芸に親しんでいた。
4歳の時に山村流日本舞踊の門に入る。
相生小学校卒業後、17歳で山村流の奥許しを得た。
18歳の時、神戸高等工業学校出身の造船技師・春野影彦と恋に落ち、春野の上海転勤に従って、親の許しのないまま恋の逃避行を試みた。
しかし失敗し、帰国後、両親に詫び状を出したが父に許してもらえなかった。
その後、習い覚えた芸事を生かして、門司で芸妓になり、神戸、大阪などを転々とした。
その美貌からたちまち売れっ子芸妓となり、大阪でも名妓とうたわれるようになった。
この頃関西歌舞伎の片岡我童や活動弁士だった若林桜天と同棲していた。
1924年、松竹下加茂撮影所に当時の旧劇のスターの市川荒太郎・東愛子夫婦を訪ね、その紹介で大阪の松竹楽劇部に入った。
京都の弁天座で初舞台を踏んだ。
1926年(大正15年)1月10日、松竹蒲田撮影所に入社。
八雲恵美子の芸名で、五所平之助監督の『初恋』に押本映治と三田英児の相手役としてデビュー以来、『母恋し』(名子役の高尾光子 ……

八雲恵美子が亡くなってから、45年と313日が経過しました。(16749日)

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