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荒井良平 氏(あらいりょうへい)

映画監督脚本家俳優[日本]

1980年 10月22日 死去享年80歳

荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - 1980年10月22日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。
人物・来歴= 1901年(明治34年)10月22日、長野県上田市に生まれる。
長じて東京に移ったが、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起き、焼け出されて大阪に移る。
当時、日活大将軍撮影所の時代劇の原作募集に応募、入選した。
これをきっかけに同所の池永浩久の面接を受けて、監督志望である旨を伝えたが、俳優研究生として同社に入社した。
記録に残るもっとも早い時期の出演作は、1926年(大正15年)2月28日に公開された楠山律監督の現代劇『愛の貴公子』における「滝川耀子の父・義人」役で、満24歳にして宮部静子の父親役を演じた。
1928年(昭和4年)8月、同社を退社、福井に人造絹糸の工場を開き、実業家に転身する。
1929年(昭和4年)、新設された日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に復帰、同年3月31日に公開された池田富保監督の『英傑秀吉』に出演したのを最後に、助監督に転向、池田富保、仏生寺弥作、伊藤大輔に師事した。
1933年(昭和8年)1月10日に公開された『新蔵兄弟』で映画監督としてデビューした。
『水戸黄門 来国次の巻』(1934年)、『水戸黄門 密書の巻』(1935年)、『水戸黄門 血刃の巻』(同)、『牢獄の花嫁』(1939年)、『鍔鳴浪人』(同)等のヒット作を手がけ、「ドル箱監督」としての地位を築いた。
1942年(昭和17年)、大日本帝国 ……

荒井良平が亡くなってから、44年と53日が経過しました。(16124日)

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