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宇田川榕菴(うだがわようあん)

蘭学者[日本]

(弘化3年6月22日没)

1846年 8月13日 死去享年49歳

 - ウィキペディアより引用

宇田川 榕菴(うだがわ ようあん、1798年3月9日(寛政10年1月22日) - 1846年6月22日(弘化3年5月29日))は、江戸時代後期の津山藩医で蘭学者。
名は榕、緑舫とも号した。
宇田川榕庵とも表記される。
それまで日本になかった植物学、化学等を初めて書物にして紹介した人物である。
代々津山藩医の家柄であった宇田川家は蘭学の名門として知られ、養父である宇田川玄真、また玄真の養父である宇田川玄随、榕菴の養子である宇田川興斎も蘭学者、洋学者として知られる。
生涯 江戸詰めの大垣藩医、江沢養樹の長男として江戸で生まれ育った。
父の師匠である津山藩医宇田川玄真に才を見出され、玄真の養子となったのは14才の時である。
養父・玄真に学び1817年に津山藩医となった後、津山藩主が御家門であったことから玄真とともに幕府に重用された。
1826年、天文方蕃書和解御用の翻訳員となり、ショメール百科事典の翻訳書『厚生新編』(こうせいしんぺん)の作成に従事する。
父子の逸話として、慕っていた養父・玄真の養生のために、榕菴は津山近辺の温泉の効能(泉質)を調べており、これが日本で初めて行われた温泉の泉質調査であったといわれている。

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