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伊藤雄之助 氏(いとうゆうのすけ)

俳優[日本]

1980年 3月11日 死去心臓発作享年62歳

伊藤雄之助 - ウィキペディアより引用

伊藤 雄之助(いとう ゆうのすけ、本名:伊藤 嘉朗(いとう よしろう)、1919年8月3日 - 1980年3月11日)は、日本の俳優。
「ゆうのすけ」は雄之助・雄之弼・侑之助でクレジットされている映画もある。
兄は二代目澤村宗之助、弟は伊藤寿章(澤村敞之助、澤村昌之助)、妻は新東宝の女優だった桐丘峯子。
子に俳優の伊藤高と歌手の伊藤照子。
付き人に大地康雄がいる。
来歴・人物[編集] 1919年8月、東京市浅草区東仲町(現在の東京都台東区雷門)で帝国劇場専属の歌舞伎俳優の初代澤村宗之助(本名伊藤三次郎)の次男として生まれる。
母は帝国劇場専属女優第1期生の鈴木徳子。
兄、弟も役者の芸能一家に育つ。
父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄に生まれた士族だが、地元の子供芝居に投じて台頭、四代目助高屋高助に認められて上京し、その養子となって七代目澤村訥子を襲名していた。
訥子は養父の死後小芝居の大立者となり、雄之助出生時もなお活躍中であった。
1924年4月、満4歳8カ月で“澤村雄之助”の芸名を名乗り、父の舞台である四谷の大国座で初舞台を踏む。
本来初舞台披露が行われるはずの帝国劇場は前年の関東大震災で焼失し、再建中であった。
しかし、初舞台の6日目に父が舞台で急逝した。
雄之助ら遺児3兄弟は祖父の世話を受けることになったが、祖父が2年後に亡くなると親戚中から冷遇され、さらに雄之助は他の兄弟たちと比べのろまで不器用だ ……

推定関連画像

伊藤雄之助が亡くなってから、44年と138日が経過しました。(16209日)