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久我美子 氏(くがよしこ)

女優[日本]

2024年 6月9日 死去誤嚥性肺炎享年94歳

久我美子 - ウィキペディアより引用

久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - 2024年6月9日)は、日本の女優。
身長153cm。
本名:小野田 美子(おのだ はるこ)、旧姓:久我(こが)。
所属芸能事務所はワタナベエンターテインメント。
経歴= 『また逢う日まで』(1950年) 『女の園』(1954年) 侯爵、貴族院議員久我通顕の長女。
母は日本橋区薬研堀町のべっ甲商、永峰セルロイド工業社長篠崎宗太郞長女與志江。
久我家は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む清華家の家格であり、華族の家柄である。
東京市(現・東京都新宿区)牛込に生まれる。
1946年、 女子学習院(女学校課程)在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。
同期に三船敏郎・堀雄二・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。
1947年、女子学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
1950年の映画『また逢う日まで』では、日本映画ではタブーだった接吻のシーンを窓硝子ごしのクロースアップで演じた。
1954年、木下惠介の『女の園』の撮影中、久我と岸惠子は「女だけのプロダクションをつくろう」と意気投合した。
「でも二人だけじゃ寂しいわね」と久我が言うと、岸は「有馬稲子っていう威勢のいい人がいるじゃない」と提案した。
同年4月16日、久我、有馬、岸で「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立した。
1957年 原田康子作の70万部を記録した小説『挽歌』をもとにした映画でヒロイン兵藤怜子を演じ大ヒットする。< ……

久我美子さんが亡くなってから、165日が経ちました。