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乙羽信子 氏(おとわのぶこ)

女優[日本]

1994年 12月22日 死去肝硬変享年71歳

乙羽信子 - ウィキペディアより引用

乙羽 信子(おとわ のぶこ、本名・新藤信子〈旧姓・加治〉、1924年〈大正13年〉10月1日 - 1994年〈平成6年〉12月22日)は、日本の女優。
愛称は「オカジ」(旧姓より)。
来歴= 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)西倉吉町に生まれる。
父の家に引き取られ、大阪で育つ。
間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。
小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになる。
1937年(昭和12年)、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学。
宝塚歌劇団27期生。
同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいる。
この芸名は養母が信仰する新興宗教の教師が命名した。
宝塚入団時の成績は93人中49位。
1939年(昭和14年)の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。
なお、この時代は同期でも初舞台演目はそれぞれ異なった。
戦後、再開された公演でトップ娘役(主に雪組公演出演)を務める。
淡島千景と人気を二分し、戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支えた。
1950年(昭和25年)、娘役に限界を感じ始め、松竹入りした淡島に倣うように『雨月物語/キュウバ/人魚姫』を最後に宝塚歌劇団を退団。
退団後、大映に入社する。
大映は、宝塚時代から人気のあったえくぼに「百萬弗のゑくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。
デビュー作 ……

乙羽信子さんが亡くなってから、29年と335日が経ちました。(10927日)

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