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佐藤純彌 氏(さとうじゅんや)

映画監督脚本家[日本]

(別名義・佐藤純弥)

2019年 2月9日 死去享年88歳

佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - 2019年2月9日)は、日本の映画監督・脚本家。
別名義は佐藤 純弥。
幅広いジャンルを手掛け、莫大な予算と豪華なスタッフ・キャストを使用した作品を多数製作したことから“ミスター超大作”の異名で呼ばれる。
来歴= 東京都出身。
太平洋戦争時は、山形県鶴岡市の祖父と叔父の元へ縁故疎開した。
当時は勤皇少年で、「自分は二十歳まで生きられていない」と思っていたという。
東京都立第一中学校在学中に学制改革を経て日比谷高校を卒業。
その後東京大学に進学し、文学部を卒業した。
1956年に東映へ入社し、東映東京撮影所の映画スタッフとしてキャリアを積む。
1961年に『宇宙快速船』で助監督して参加。
1963年に『陸軍残虐物語』で監督デビュー。
翌年には『廓育ち』で一見性的描写で観客を呼び、本質は社会派の内容の映画も監督を務めた。
『魔法使いサリー』では佐藤 純弥名義で脚本を担当した。
1968年に東映を退社後は、ヤクザ映画を中心に監督を担当。
1975年の『新幹線大爆破』は公開当初の興行成績は芳しくなかったが、海外での評価は高く、後年レンタルビデオなどでに人気作となった。
以降、『野性の証明』『未完の対局』『敦煌』『おろしや国酔夢譚』『男たちの大和/YAMATO』等の大作の監督を務め上げた。
2000年より地元で開催されている西東京市民映画祭の審査委員長を毎回務めてきた。
2008年、旭日小綬章 ……

佐藤純彌さんが亡くなってから、5年と286日が経ちました。(2112日)

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