コンスタンティン・チェルネンコ 氏Konstantin Ustinovich Chernenko
政治家、書記長[ソ連]
1985年 3月10日 死去享年75歳
コンスタンティン・ウスチーノヴィチ・チェルネンコ(ロシア語: Константи́н Усти́нович Черне́нко、ラテン文字表記の例:Konstantin Ustinovich Chernenko、1911年9月24日 - 1985年3月10日)は、ソビエト連邦の政治家。
ソ連共産党中央委書記長、最高会議幹部会議長の職にあって、1年余りに渡って同国の最高指導者であった。
生い立ちから権力の掌握まで=
生い立ち=
1911年9月24日、ロシア帝国のシベリア・クラスノヤルスクのノヴォショーロヴォ地区ボリシャヤ・テシ村にて生まれる。
チェルネンコは貧農の出身であり、父親は鉱山で働き、母親は農作業に従事していた。
チェルネンコ自身は、幼少時には富農(クラーク)に雇われて働いた。
1929年にコムソモールに入り、同年、ノヴォショーロヴォ地区宣伝・煽動部長となる。
翌1930年、軍に志願し、ソ連と中華民国の間の国境警備隊に配属される。
共産党=
1931年にソビエト連邦共産党に入党し、軍を除隊した後はクラスノヤルスク地方党宣伝部副部長となる。
第二次世界大戦中はクラスノヤルスク地方党書記を務めた。
モルダビア(現在のモルドバ)のキシニョフ教育大学を卒業し、第二次世界大戦終結後の1945年にペンザ州党委員会書記を経て、1948年にモルダビア共和国共産党中央委員会宣伝扇動部長となる。
この時のモルダビア共産党第一書記が、後にソ連共産党書記長となるレオニード・ブレジネフであった。
ブレジネフの知遇を得た ……
コンスタンティン・チェルネンコさんが亡くなってから、39年と256日が経ちました。(14501日)