六川亨 氏(ろっかわとおる)
サッカージャーナリスト[日本]
2025年 11月17日 死去享年69歳
六川 亨(ろっかわ とおる、1957年9月25日 - 2025年11月17日)は、日本のサッカージャーナリスト。
兄はサッカーカメラマンの六川則夫。
来歴=
東京都板橋区出まれ。
板橋区立板橋第一小学校、板橋区立板橋第一中学校、東京都立文京高等学校を経て法政大学を卒業後、1981年に大学時代からアルバイトをしていた日本スポーツ企画出版社に入社し、サッカーダイジェスト編集部に配属になる。
1988年からは「サッカーダイジェスト」編集長を歴任し、1993年のJリーグ発足を機に週刊化への先鞭をつける。
2001年に日本スポーツ企画出版社を去りフロムワンに入社。
富樫洋一が立ち上げた「CALCIO2002」の編集長を受け継いだ,ほか、「サッカーズ」「totoONE」「プレミアシップマガジン」「浦和レッズマガジン」の創刊に携わった。
2010年にフロムワンを去り独立。
フリーランスのサッカージャーナリストとして活動を開始する。
独立前を含め、FIFAワールドカップには1986年メキシコ大会から2018年ロシア大会まで、1994年アメリカ大会・1998年フランス大会を除いた7大会を現地取材したほか、AFCアジアカップやコパ・アメリカなどにも取材に赴いた。
2022年7月、肺炎を発症した際の治療の際にステージⅢの肺癌の診断を受ける。
以後、取材活動を続けながら治療を続けたが、2025年11月17日朝に死去。
68歳歿。
死去の当日には日本代表監督の森保一が、翌日行われるキリンチャレンジカップ・ボリビア戦の公式記者 ……
六川亨さんが亡くなってから、1日が経ちました。