三橋達也 氏
俳優[日本]
2004年 5月15日 死去急性心筋梗塞享年82歳
三橋 達也(みはし たつや、1923年〈大正12年〉11月2日 - 2004年〈平成16年〉5月15日)は、日本の俳優。
妻は安西郷子、次男はCGクリエーターの三橋忠央。
東京市出身。
来歴=
1955年
父が木版彫刻家だった関係から、1942年に多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)に入ったが、戦時中で満足な授業が無く、1年後に中退する。
1943年、最初は舞台美術家を志し、舞台美術担当で新劇グループ新制舞台に入団、しかし俳優になるよう人からすすめられ、劇団を転々と渡り歩いたのち、1944年に水の江瀧子主催の劇団たんぽぽに入り、映画にもエキストラとして出演していた。
そんな中、軍隊に召集されて、シベリア抑留を経て、1947年に復員した。
しばらくは短編映画のプロデューサーや俳優などをして、1948年に大泉撮影所(現、東映東京撮影所)に入社する。
大部屋俳優だったが、『執行猶予』などに端役として出演しているうちに、カメラマンの藤井静の推薦で佐分利信監督の松竹映画『あゝ青春』に主演の不良学生役で出演、この映画では照明助手出身の大木実や新人の南川直もデビューしたが、脚本の猪俣勝人はこの時の三橋の自然体な演技、試写会でのウィットにとんだスピーチから、将来大物になるに違いないと確信したという。
マネージャーとなった中野英治の口利きで大映、新東宝の映画に出演したのち、松竹専属となりホームドラマ・タッチの青春映画に数多く出演する。
1954年に日活に移籍、同 ……
三橋達也さんが亡くなってから、21年と205日が経ちました。(7875日)



