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松田定次 氏(まつださだつぐ)

映画監督[日本]

2003年 1月20日 死去享年98歳

松田定次 - ウィキペディアより引用

松田 定次(まつだ さだつぐ、1906年11月2日 - 2003年1月20日)は、昭和期の映画監督。
人物[編集] 戦前はマキノ・プロダクション→新興キネマ→日活→大日本映画、戦後は異母弟のマキノ光雄が製作責任者だった東横映画・東映に属して時代劇映画を量産しヒットシリーズ作を多く手がける。
特に、東映時代は東映京都のトップ監督として君臨し、東映オールスターの忠臣蔵映画を3本も演出するなど、プログラムピクチャー大作を多く手掛けた。
父親は「日本映画の父」と称された、マキノ・プロダクションの創設者・牧野省三。
映画監督のマキノ雅弘の異母兄。
妻は女優の松浦築枝、脚本家の松田寛夫は長男(養子)。
主な代表作略歴[編集] 戦前は嵐寛寿郎の代表作『鞍馬天狗』シリーズを5作など多数を監督し、時代劇にとどまらず現代劇も多く手がけてゆく。
戦後、大映から東映に会社を代えて製作された『七つの顔』から始まる 片岡千恵蔵主演の現代劇『多羅尾伴内』シリーズを脚本・原作の比佐芳武と共に11作すべてを監督した。
同じく千恵蔵主演の初の『金田一耕助』シリーズ映像化も6作のうち5作を監督や日本初の和製ガンアクション刑事映画の『にっぽんGメン』シリーズを2作、また市川右太衛門の代表作『旗本退屈男』シリーズの戦後作6作を手がけた。
大友柳太朗の主演の『丹下左膳』シリーズを5作中4作、大川橋蔵の代表作『新吾十番勝負』シリーズを8作中6作監督し、東映スター俳優 ……

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松田定次さんが亡くなってから、21年と189日が経ちました。(7859日)