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松田寛夫 氏(まつだひろお)

脚本家[日本]

2022年 3月24日 死去悪性リンパ腫享年90歳

松田寛夫 - ウィキペディアより引用

松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日 - 2022年3月24日)は、日本の脚本家。
人物= 京都市出身。
松田定次と松浦築枝の養子。
京都大学文学部卒業。
1958年、東映に入社。
早くからチーフ助監督になるが、組合委員長として契約者の組織化などに働き、常にひと言多いクセがたたり、岡田茂プロデューサーと喧嘩し、助監督を棒に振って東映東京撮影所に飛ばされた。
1967年に脚本家デビュー。
当初はヤクザ映画やアクション映画の脚本を執筆していたが、次第に時代劇、ドラマと幅を広げていき、テレビドラマにも進出した。
東映の脚本家は数名の共作で執筆することが多いが、比較的早くから単独執筆の映画に恵まれている。
特に後年には、『花いちもんめ。
』『社葬』などのオリジナル脚本でしばしば高い評価を受けた。
1985年、映画『花いちもんめ。
』で第9回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、1989年、『社葬』で第44回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。
2022年3月24日午前、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。
88歳没。
死去は4月1日に東映が発表した。
主な作品= ※は共作 映画= 網走番外地 大雪原の対決(1966年)※ 恐喝こそわが人生(1968年)※ 黒薔薇の館(1969年)※ めくらのお市 地獄肌(1969年)※ 博徒外人部隊(1971年)※ 女囚701号/さそり(1972年)※ 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年)※ 女囚さそり 第41雑居房(1972年)※ 実録 私設銀座警察(1973年)※ 女囚さそり ……

松田寛夫さんが亡くなってから、2年と242日が経ちました。(973日)

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