比佐芳武 氏(ひさよしたけ)
脚本家[日本]
1981年 12月17日 死去享年78歳
比佐 芳武(ひさ よしたけ、1904年1月4日 - 1981年12月17日)は、日本の脚本家である。
マキノ正博のもっとも苦しんだ若い時期に惜しみなく協力した盟友であり、「七つの顔を持つ男」で知られる片岡千恵蔵の当たり役「多羅尾伴内」の生みの親である。
本名武久 猛(たけひさ たかし)。
来歴・人物=
現在の北海道滝川市に生まれる。
マキノ・プロダクションに入社、同社で初めて採用されたのはオリジナルストーリーであった。
中川信夫が脚本化し、マキノ正博が監督したこの『浪人太平記』は、1931年(昭和6年)3月19日に公開された。
同年のマキノ解散後は、高村正次が興した「正映マキノキネマ」で1932年(昭和7年)、マキノ正博が「青山正雄」名義で監督した『喧嘩道中記』、おなじくマキノが監督した『二番手赤穂浪士』の2作にオリジナル脚本を書いた。
同年、マキノとともに日活に入社、ひきつづきマキノとのコンビで野村胡堂原作の『七人の花嫁』の脚本を書き、荒井良平らにも脚本を提供したが、マキノの日活馘首後は、1934年(昭和9年)、嵐寛寿郎プロダクションに移籍した。
同社では、『喧嘩一代』のオリジナル脚本、大仏次郎原作の『鞍馬天狗』全3篇、行友李風原作の『月形半平太』の脚本を執筆した。
マキノ正博の録音研究による雌伏時代も、マキノによく協力し、1935年(昭和10年)11月、マキノによる「マキノトーキー製作所」の設立に参加、翌1936年(昭和11年)1月に発表にな ……
比佐芳武が亡くなってから、42年と339日が経過しました。(15680日)