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大森房吉(おおもりふさきち)

地震学者[日本]

1923年 11月8日 死去享年56歳

大森房吉 - ウィキペディアより引用

大森 房吉(おおもり ふさきち、1868年10月30日(明治元年9月15日) - 1923年(大正12年)11月8日)は、日本の地震学者・地球科学者。
日本における地震学の創始者のひとり。
初期微動継続時間から震央を求める大森公式、大森式地震計などを考案した。
経歴[編集] 1868年、越前国足羽郡福井城下(現・福井県福井市手寄2丁目)の下級武士大森藤輔の五男として新屋敷百軒長屋で生まれる。
8人兄弟で家は貧しかった。
創立したばかりの旭小学校に入学し、3年生のときに家族とともに上京。
1877年、官立阪本学校(現・中央区立阪本小学校)の5級生(4年生)に転入。
1881年、共立学校(現・開成高校)に進学。
1883年、東京大学予備門本学に入学。
1887年、帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)に入学。
物理学を専攻。
1890年に帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)物理学科を卒業、その後大学院で気象学と地震学を専攻し、イギリスから招かれた地震学者ジョン・ミルンの指導のもとで1891年に発生した濃尾地震の余震についての研究を行った。
1894年に本震からの経過時間に伴う余震の回数の減少を表す(余震の)大森公式も発表している。
1894年から3年間ヨーロッパへ留学。
1896年にヨーロッパ留学から帰国後、帝国大学地震学教授となる。
濃尾地震を契機に文部省(現・文部科学省)内に設置された震災予防調査会の幹事を長らく務め、日本の地震学の指導的な立場にあり、「日本 ……

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大森房吉が亡くなってから、100年と262日が経過しました。(36787日)