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鈴木英夫 氏

歌人[日本]

2010年 10月18日 死去心筋梗塞享年98歳

鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年〈大正5年〉5月10日 - 2002年〈平成14年〉5月2日)は、日本の映画監督。
愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身。
スリラーとサスペンスの名手とされ、最晩年に再評価された。
来歴= 1916年(大正5年)5月10日、現在の愛知県蒲郡市に生まれる。
家業の船舶運送業を継ぐべく進学するが、映画好きが昂じて、1933年(昭和8年)日本大学藝術学部に入学。
23歳になる1939年(昭和14年)、卒業と同時に豊田四郎の遠縁を頼って新興キネマ東京撮影所の助監督部に入社。
1943年(昭和18年)東宝への移籍を経て、1944年(昭和19年)大映東京撮影所に移籍。
1941年(昭和16年)、助監督の身分で舟橋聖一の原作を脚色した『母代』が、師匠である田中重雄監督の手によって映画化され、評判になる。
1947年(昭和22年)、大映の監督部に昇進し、自作のシナリオを映画化した『二人で見る星』で監督デビュー。
つづく『蜘蛛の街』では、初のサスペンス映画を手掛け、一躍大映東京撮影所のホープに躍り出る。
同作品は、下山事件にヒントを得て、低予算を逆手にとって、ノースター、街頭ロケや隠し撮りを多用したリアリズム・タッチの演出が斬新であった。
1952年(昭和27年)、大映を退社し、翌1953年(昭和28年)新東宝へ入社。
38歳を迎える1954年(昭和29年)、東宝に再移籍。
同社の中堅監督として文芸ものや喜劇など、あらゆるジャンルをこなすが、その本領は主にスリラー ……

鈴木英夫さんが亡くなってから、14年と10日が経ちました。(5124日)